TOP | 通販について | お問い合わせ |
![]() |
ジーンズって今から150年も昔に起源があるんですよ。今なお世界中の人々から愛されるジーンズの歴史をたどってみましょう。 |
1850〜70年代 | ゴールドラッシュの落とし子 |
ゴールド・ラッシュ それは1848年、カリフォルニアはサクラメント川のほとりにあるサター大尉(ジョン・A・サター)所有の交易所近くを流れている川底で砂金が発見された時から始まる。 そして、この金鉱発見のニュースが、西部から東部へ、さらにはヨーロッパ諸国へも流れるようになる頃には、 もう完全にこのへん一帯は、ゴールド・ラッシュの波にのまれてしまっていた、というわけである。 とにかく、世界各国から一攫千金を夢みてガンガン集まってくるのだからたまらない。たちまちのうちに、 この静かな町も騒々しい町に変わり、とうとう1854年には、カリフォルニアの州都にさえなったのである。 |
|||
さて、金鉱探しに嬉々としてすっ飛んで来る彼らにも、ひとつだけ、悩みがあった。 それがなんとズボンだったのである。なにしろ、今のように車も単車も なかった時代、足がわりになるものといえば、馬か馬車だけ。その馬にまたがって 、広い荒野を駆けつけてくるのだから、たまったものではない。普通のズボンだったら、 すぐにすり切れてしまうのは当たり前である。 ところがじつによくしたもので「腹が減っては・・・・」ならぬ「丈夫なズボンが なければ、金鉱探しもできぬ」と嘆く彼らに、救いの手をさしのべた人がおったのである。 その人こそが。、ジーンズのオリジナル・メーカーで、ジーンズの父ともいわれる リーバイ・ストラウス氏だったのだ。 |
|||
![]() |
この人が、西ドイツはババリアから移民してきた時には、すでにご当地は ゴールド・ラッシュもたけなわの1850年出会った。そこで、彼は思った。 よし、俺はこいつらを相手に一世一代のビジネスをやってやろうと。そして 、考えた。そうだ。俺が使っているホロやテント用のカンバス地で ズボンを作ったら、もっとボロイ儲けになるはずだ。 その上、みんなに喜んでもらえる。こんないいことはない・・・。 それが、世にいう<リーバイス>の始まりだったのである。 この<リーバイス>が金鉱掘りたちにモテモテだったのは、 まず丈夫で長持ちする、という点にあった。 それに長い道中でも鞍ズレしないようにと、 全体を細身に仕立てたことも大きな特徴となった。だが、 彼らの興味をそそったには、なんと言っても藍(インディゴ)で 染めた独特な色気に合った。もちろんインディゴを染料に使ったのは、 この葉っぱの汁が害虫に強い、という事を知っていたからである。 害虫よけにもなれば、汚れも目立たないし、 色気そのものもじつに新鮮でシャレている、とくれば、もうこれは モテないほうがおかしい。 かくして、リーバイスのジーンズは「ゴールド・ラッシュ」とともに、 はなばなしくデビューしたのである。 |
||
リーバイ・ストラウス | |||
1853年 Levi’sの誕生 |
リーバイ・ストラウスが サンフランシスコで雑貨店を開業。 | ||
1873年 リベットの特許申請 |
リーバイ・ストラウス社からテント地を買っていたヤコブ・ディビスは、彼に「リベットで補強した衣類」の特許申請を持ちかけた。共同による特許取得申請は、1873年5月20日に受理。以来、この日付がジーンズの原点を印すものとして、伝統のツーホースパッチには刻まれている。 | ||
1877〜1880年 アーキュエット・ステッチ 藍染めのデニム地 ツーホースマークの発案 レザーパッチ |
1877年にはリベット付テント地のパンツに関して、本格的な仕様が決定された。リーバイ・ストラウス社の商標であり、アメリカでもっとも最古の衣類商標である、バックポケットに縫い込まれた 「アーキュエット・ステッチ」の採用。インディゴ染料で染められたデニム地の導入。ツーホースマークの発案など現在の501®ジーンズの仕様の原型が整った。1886年にhさらにツーホースパッチの原型であるレザーパッチが、品質保証の意味を込めて縫い付けられる。 |
![]() |
![]() |
|
当時の炭鉱夫のほとんどがリーバイスの パンツを買ってはいていた。 |
ツーホースブランドレザーパッチのもとになった イラストがコレ |
1860〜1890年 西部劇の時代 |
これまで、東部から西部へと移動してきた開拓者たちは、突如起こったゴールド・ラッシュのために開けた太平洋岸(西部)から、今度は東へと方向を転換し始めるという動きが現れた。辺境地帯では、相変わらず開拓者たちを恐れさせる、インディアンとキャバリー(騎兵隊)との戦いが続けられていた。そして、この騎兵隊とインディアンが、もっとも派手にやりあったのは、例の南北戦争もはじまる1860年から1890年にかけての30年であった。 |
![]() |
ゴールドラッシュ以来、多くのフロンティア野朗共にもてはやされたジーンズは、種類もオーバーオール・タイプ、カーペンター・タイプ(胸当て付きのオーバーオール)、ジーン・パンツの3種類にふえたし、デザインもすっかり改良された。 つまり、ジーンズは今やジーンズはれっきとした作業着、仕事着として、アメリカ中の男たちに認められるようになったワケである。特に、牧場で働いているカーボーイたちや、農園で働く開拓者たちには、圧倒的な人気だった。 |
当時(1890年頃) ウエストハイオーバーオールと 呼ばれていた頃の501の愛用者たち |
1889年![]() ヘンリー・デビット・リー |
まだビリー・ザ・キッドがおたずね者だった頃、バーモント州の小さな町で後に事業家として、また、ジーンズの歴史に名を残す男が生まれた。名は、ヘンリー・デビット・リー。彼は30才で事業家として成功を収め、1889年、食品と雑貨の総合卸商をカンサスシティの街で開業。社名をH・D・Leeマーカンタイル・カンパニーといいました。 | |
1906年 Levi’s工場設立 |
1906年のサンフランシスコ大地震によって、リーバイ・ストラウス社の生産工場やオフィスが焼失。新たにバレンシアストリートに当時としては近代的な工場を建設。生産を外部に委託していたリーバイ・ストラウス社にとって、事実上最初の自社工場となった。 | |
1911年 Lee工場設立 |
H・D・Leeマーカンタイル・カンパニーの取り扱い商品に労働衣料が加えられたことは、ごく当然のことでした。荒野がいたるところにあったかってのアメリカでは、厳しい労働条件の中で働く人々にとって、なによりも丈夫な衣料が生活に必要不可欠だったからだ。東部から入荷する労働着は、胸当て付きのオーバーオーで、しだいにLeeの売れ筋商品になった。ところが売れ行きを妨げるように商品配送の遅延や、思うように入荷できない状況が続出したため、。独自の衣料工場を設立。そして、1911年、<Lee>の名を全米に広めたオーバーオールやワーク・ジャケットが誕生した。 | |
1915〜1922年 Levi'sのデニム |
デニムの大きな仕様変更が行われた1915年。後年XXデニムの供給元となるコーン・ミルズ社から9オンスのデニムを導入。’22年にはコーン・ミルズ社製のデニムだけに統一され、デニムウェイトも年々増加。’28年には12.5オンスに引き上げられた。 | |
1919年 バディ・リー ![]() |
バディ・リーを知っていますか。Leeが販売促進用に考案した人形です。ネーミングを募集し、名前が選ばれ、全米のショップの店頭を飾るようになったのは1922年のことです。身長わずか30cmほどの愛らしい体に、オーバーオールやダンガリーズ、リー・ライダース101など、ぇえの世界的な定番ぼミニチュアを身にまとって、バディ・リーは強力なセールスボーイとして50年代まで大活躍しました。現在では高いプレミアムがついていて、コレクターズアイテムとして世界のマニアの的になっています。 | |
1924年 リーライダースの誕生 |
11オンス・デニムを使ったカウボーイパンツが誕生。「真のカウボーイパンツ」と呼ばれ、埃にまみれた本当のカウボーイたちに愛用された。後に「りー・ライダース」と名づけられ、101の名で親しまれた伝説のジーンズの誕生だ。 | |
1926年 ジッパーフライの誕生 |
ジーンズで世界最初のジッパーフライの採用。ジーンズのジッパーはLeeから始まったオリジナルのディテールだ。 | |
1936年 Lee焼印レザーラベル誕生 |
焼印レザーラベルの誕生。リー・ライダースの顔として、今に受け継がれている。牛革を使用した本物のレザーで、牛に使う焼印をもとにした、西部の匂いがプンプンする本格ラベルだ。 | |
1936〜1938年 「LEVI’S」の採用 |
今でこそ有名になった赤タブ(RED TAB®)は、ふえつづける501®ジーンズの模倣品と区別するため’36年から採用された。これは、’38年に正式な登録商標として認められ、現在まで続いている。また、「LEVI’S®」というリーバイ・ストラウス社の製品に対する愛称がこの頃より正式な呼称として採用されるようになる。 | |
1930年代 |
1940年 ビッグジョンの誕生 |
創業者 尾崎小太郎氏が、縫製業を始める。ビッグ・ジョンの前身である。 ビッグ・ジョンブランド。’70年代に日本中に普及したジーンズブームで、広告宣伝においても、売上においてもナチョナルブランドのオピニオンリーダーとして、その地位を確立。現在では世界中にその名を知られたブランドに成長している。また、国産デニムを使い、国内縫製の純国産ジーンズを作り、初めて成功を収めたブランドとしても知られている。 |
1940〜1950年 戦争の時代 |
第2次世界大戦には、リーバイ・ストラウス社が軍需品納入者に指定され、米軍兵士をはじめ直接的に戦争に関与する人にしか購入が許されなかった。しかし、各国に駐在する米兵によって501®ジーンズはヨーロッパをはじめ世界中に広まった。戦後は支援物資として、ジーンズをはく習慣のなかったパリやロンドンで一気に普及した。 |
1942〜1945年 Levi'sの物資節約 |
第二次大戦下、物資節約の統制のもとカバーリベットを銅メッキのスチールリベットに変更し、バックストッラップを省略した。また、アーキュエット・スッテッチは糸のむだ遣いと見なされその代用としてにペンキによって描かれた。。 |
1945年に没したルーズベルト大統領にかわってトルーマンが大統領に就任。1950年には「朝鮮戦争」が始まった。街には、トルーマン大統領も愛用のアロハ・シャツやG・Iカットの若者が目立ち始める。 つまり、朝鮮戦争を契機に、ジーンズが単なる作業着から、はじめて<ファッション>という形をとって現れ始めたのである。 ジーンズをはやらせのは、朝鮮戦争時代のG・I(アメリカ軍兵士)たちであった。彼らは、トレード・マークのG・Iカット、CPOアウターシャツ、ラムウールのVネックセーター、それに白の綿ソックスに表皮のローファーズといったものとともに、ダブダブの色あせた感じのオンボロジーンズを当たり前のように着ていたのである。彼らのこういった着こなしには、第一次世界大戦までのソレとは違った何かがあった。つまり、「カッコよさ」のようなものがあった。 |
|
![]() |
G・Iたちによって作業ズボン、ジーンズは新しい意識を持ち始めた。 そして、まもなくやってくるマーロン・ブランドやジェームス・ディーンの流行に、そのまま結びついていくことになる。いうまでもなく、彼ら二人は、ブルー・ジーンズを新しい意識ではきこなした、初めてのヒーローであっただけでなく、たちまちのうちに、世界中の若者のハートをつかむアイドルとなってしまったのである。G・Iたちによって、初めて<ファッション>としてはかれたジーンズも、今や、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンの影響により、アメリカはもとより、イギリス、フランスなどのヨーロッパ、それに、日本の若者の間でもはかれるようになった。 |
ジェームス・ディーン | |
1950〜1955年代 Levi's 革パッチが紙パッチに変更 1961年 プリシュランクデニム 1961年 ホワイト・ジーンズ |
戦後のベビーブームで、501®ジーンズは当時の若い世代の普段着として爆発的な普及を見せた。この頃、家電製品、とくにランドリー・ドライヤー(乾燥機)が家庭に普及し、501®ジーンズのレザーパッチを痛めつけることになった。当時、革の防縮加工技術がなく、54年に伝統のレザーパッチは素材の変更を余儀なくされた。 ’59年から実験を繰り返していた独自の製法686プロセスによる防縮加工デニム=プリシュランクデニムが完成 「ホワイト・リーバイス」と愛称で呼ばれるようになる800の登場。 ブルーだけでなく ホワイトやコーデュロイ等の製品を開発。そのいずれもベストセラーとなりる。 |
1960年 | 「ビッグジョン」を発表。 オリジナル企画による初の国産ジーンズのブランド。 |
1961年![]() 1963年 |
デニム地を輸入し、国内縫製を始める。デニムにこだわり、DENIMの文字を組み替えた EDWINブランドの誕生である。 世界初のワンウォッシュ、BFストレートがデビュー。 それまでデニムの堅牢さと履き心地のよさは両立しないと言われていたが、このワンウォッシュにより 初めて実現できた。 |
1965年 ビッグジョンのファーストモデル ![]() 1967年 1968年 BIG-WASHING開発 1970年 1974年 純国産ジーンズ第1号 |
国産初のジーンズ、品番コードM1002・ビッグジョンの「ファーストモデル」発表。 デニム地にはリーバイスが採用しているコーンミルズ社の物が使われ、ブランドマークには 現在の復刻版などにのみ使われている馬蹄をモチーフにしたタイプが採用された。 オリジナルブランド「ビッグジョン」を発表。 世界初の洗い加工BIG−WASHINGを開発。特有の風合いと履き心地が、その後のジーンズの主流をつくることになる。 ベルボトムS−70発表。 日本中に大規模なジーンズブームを巻き起こす。 国産デニム(KD−8)を使った純国産ジーンズ第1号を発表。 当時アメリカはストが多く、納期が間に合わなかったり、届いたデニムの質が 均一でないという問題が多かった。それを解決するためとコスト削減のために会社は地元のクラボウなどと共同でデニムの開発を行った。そのジーンズは売上もよく、国産デニムの品質が向上した事を証明した。 |
1975年 EDWIN オールドウォッシュ開発 1980年 ストーンウォッシュ開発 |
世界初の中古加工、オールドウォッシュを開発。古着独特のディテールを手仕上げ加工できめ細かに再現したジーンズ。 世界初のストーンウォッシュを開発。ごく自然なその中古感は、世界の最先端ファッションにも重要なアイテムとして組み入れられていった。 同時に、タイトフィットスリム、ロンドンスリムを 欧州において発売。 |
TOP | 通販について | お問い合わせ |
******************************* ******************************* ジーンズ選び達人の店 ジーンズショップアメリカ屋 http://www.jeansshop-americaya.com E-mail america@sage.ocn.ne.jp Tel Fax 0773-22-5396 京都府福知山市内記6-72 責任者 福田 功 WEB責任者 福田 圭子 ****************************** ****************************** |